月曜日, 7月 04, 2005

生存の技術/存在の技法[001]

バックラッシユとは、まさにこの近代が構築したもの、自らの内部の他者の存在の「影への怯え」という「我々の病い」に他ならないのではないか。

それはあるでしょうね。ジェンダー・バックラッシュ。でもね、だから?って訊き返したくなるよ。解答は期待できないので、解答に近い断片を引用しておく。へたれフェミニストには読解不能だろうが。

イリイチ: ヨーロッパ世界では、男と女の関係を、私がゲヌス(=ゲヌス・ロキ、場所の神のこと)として理解している関係を取り戻すことはできないと私は思います。
石牟礼: 日本でもほとんど不可能ではないでしょうか。いかにそのゲヌス・ロキ、場所の神が、私どもの列島の隅々から追い払われてゆきましたことか。男も女も、近代の悪霊のようになっておりますが、この二つのことは根源のところで結ばれているのに、そこを食い荒らされているのです。

本来のジェンダーって何? って、そこを示してよ。たまにはロキに帰依して、不可能性に額づきながら、
少なくともそれを、描き出す努力をして、からだはって提示したほうがいいよ。公開講座なんぞを自己目的化して、のうのうと口舌の日々を送って恥ずかしくはないのか。(あ、シユじゃなくシュね、backlash)

それと言葉を誤って使わないように。それは、ジェンダー・バックラッシュではなく、
イデオロギー・バックラッシュ。てかさ、「激しい反動」とかって日本語使って書けよ。そんな一般性があるわけじゃないんだから、あなたがた固有の、その何に対して反動されているのかを、脚下照顧しつつ書けよ。
「怯え」はたかだかあなたがたの小政治的反動に対するものであるに過ぎないのであって、「我々の病い」などと、糞ミソほざくのやめな。

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